(1864-1922 )
イギリスの軍人;開戦
前の参謀本部作戦部長
アイルランドのロングフォード郡エジワースソンで生まれた。
イギリスの軍人のなかで珍しく政治家的軍人だった。植民地勤務ののち陸軍参謀大学の講師をつとめ、このときフランス陸軍大学の教導となったフォシュと知己となる。1910年陸軍参謀本部作戦部長となり、非公式ながら、フランス参謀本部とヨーロッパ戦争勃発時のイギリス軍のとるべき作戦方針を打ち合わせた。
これがウィルソン−デュバイユ協定で、実際にイギリス遠征軍(BEF)が大陸に派遣されたときの基準となった。開戦時はBEFの副参謀長をつとめた。連絡将校の役割だが、成功したとはいえない。
1915年12月から1916年11月まで第4軍団長に任命されたがとくに顕著な活躍があったわけではない。そしてBEFのフランス軍との連絡任務に再度戻ったがこのときはペタンとそりが合わず、失敗だった。帰国して陸軍省にしばらくいてから、ロイドジョージと親しくなり、ラッパロ協定に関与するなどしていたが、突然連合国最高指導会議のイギリス代表に選ばれた。
この選出はヘイグやロバートソンにとり面白くないものであった。そしてロイドジョージとロバートソンの対立が限界に達すると、1918年2月ウィルソンはロバートソンにとって代わり参謀総長に選ばれた。
しかしウィルソンの役回りは作戦をたてることで連合国に寄与することではなく、知己のフォシュを連合国最高司令官に据えることだった。1922年現役を退いた。その後元帥に任命され准男爵の名誉も得たが軍功ではなく、その政治性が評価された結果だろう。
戦前から熱心なアイルランドのプロテスタント支持者で、大戦中もアイルランドの当該運動と関係があった。1922年6月シンフェーン党のテロリスト2名によりロンドンの自宅近くで暗殺された。イギリスの第1次大戦の将軍で唯一射殺された人物とも言われる。

Callwell, Maj-Gen. Sir C.E., Field Marshal Sir Henry Wilson:
His Life and Diaries, London, 1927 Collier, B. Brasshat:
A Biography of Field Marshal Sir Henry Wilson, London, 1968
Bernard A., The Lost Dictator, A Biography of
Field Marshal Sir Henry Wilson, London, 1968
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