別宮
ウィトゲンシュタインは優秀な兵士でしたがそれでも第一次大戦という近代戦に苦しみました。これはある偶然で一瞬に生命を奪われるという不条理につきあたったからだと思います。
ベラ
それでは誰でも神にすがりたくなる、とりわけキリスト教徒であれば唯一絶対神の存在を信じるとか、信仰するというのが普通ではありませんか。
別宮
それは確かにそうなのですが、ウィトゲンシュタインは近代人ですから、いわゆる絶対的なもの、例えば自分と世界、両方を律しているような存在を考えているわけで、キリスト教の三位一体の神のようなものの存在を推定して、あるいは信じていたとは思えません。
ただややこしいのはウィトゲンシュタインは「キリスト教は幸福に至る唯一の確かな道だ」と書いていますが、そのキリスト教の神が、唯一だ絶対だという表現をとっていないことです。
ベラ
言葉はウィトゲンシュタインにとり重要でしょうが、神といっても何か歴史的に表現された神を、または新興宗教の親玉が唱える神を、神とするしか方法がないのでは。
別宮
ウィトゲンシュタインはこの頃ショウペンハウエルを読んでいてその影響を受けていたようです。
ベラ
ヒトラーもショウペンハウエルの4巻本を持ち歩いたと自慢していますが、流行ですか?
別宮
哲学ですが、とりわけ自然科学を勉強した学生に愛好されたようです。なかでも「先験的観念論」が当時の若者の気分に合致したのでしょう。この論は方法論に過ぎませんが、自分と外界、または表象としての世界と意志としての世界に二分したことが特色です。
これはドイツ的学問の特有の方法ですがヘーゲル、マルクスにも貫かれておりニーチェもその方法を用いています。国家主義や社会主義に根拠を与えたということができますが、世界という言葉にも注目すべきでしょう。
ベラ
すると前回の何を信じるか「自分」か「神」か「運命」か、という選択をする場合でも参考になるわけですね。
別宮
いきなり、そこで難しい方向に行くのではなく自分とか地球を含む天体とかいろいろな世界が存在するという点を理解したということではないでしょうか。つまり世界という言葉よりもシステムと約した方が的確かもしれません。
これは時間的な意味からも簡単に理解できます。例えば砲弾が命中して戦死した場合、以前の世界には自分が含まれていましたが、その後は含まれていません。ところが地球はそのようなことに変わりなく動きますし、おそらく大半の人々は変わりなく生活して行くでしょう。
しかし戦死した人の世界は終了です。つまり大半の人々、考える兵士にとって自己の世界は、外界の世界に対置させることは重要であるわけです。
ベラ
何か人が全て世界となると多神教のようでもありますね。
別宮
ウィトゲンシュタインは自己の世界と外界を貫いている絶対的な存在として神をみなしているわけで、どちらかといえば唯一絶対神を前提にしていますが、仏教のように万物が相対的であると考えても両立はすると思いますが。
ベラ
ウィトゲンシュタインは魅力的な人物ですね。
別宮
そうですね。兵士にしても哲学者・数学者にしても人間の弱さのようなものからは最も遠い存在のように見えますが、これを否定している面があります。
ベラ
それでもニーチェやニーベルンゲンの歌とは違います。
別宮
ウィトゲンシュタインは1916年7月13日、敗走してブコビナからカルパチア山系に至る途中で次のような手紙を書きました。
「自己を失わないようにするのは恐ろしく難しい。私は本当に弱い人間だからだ。しかし精神力が私を助けてくれるだろう。一番いいのは病気になることだ。そうすれば少なくともわずかであっても安らぐだろうに」
これは病気願望ですが、二重帝国最良の兵士でもこういった気分にさせられたところにこの戦争の厳しさがあるように思えます。