別宮 マルクスとレーニンには、ドイツ社会民主党やロシア共産党の党員の考え方とは大きく異なる点があったことは否定できません。それは何よりも国家・国民に関することでした。マルクスの国家論とはプロレタリアート(労働者階級)を抑圧するブルジョワの「道具」というものでした。レーニンはそれに接木して戦争を遂行する機関という側面を与えました。
マルクスにしてもレーニンにしても国家とは、あくまでも"State"であって、"Nation"でも"Country"でもありませんでした。"State"とは人間集団によってつくられた法律執行機関です。この人間集団とは領域=国土をもっています。ところが、大多数のドイツ人にとって帝政ドイツは統一されたドイツ人国家であり、ロシア人にとっては母なる祖国でした。
ヘーゲルの国家"State"論の基礎は道徳と法律がより高い段階となり理性として結合(止揚)され、国家になるという考え方です。共通の道徳と従うことを認めた国王と国民がいれば、国家になります。マルクスの国家論は共通の道徳と法律とはブルジョワ(≒都市の富裕階級)が定めたものであり、農民から転化したプロレタリアートは従うことを強制されるとみたのです。
マルクスにしてもヘーゲルにしても基礎は小邦からなるドイツであり、視野はヨーロッパでした。
コスモポリタン マルクスやレーニンは、労働者解放のための革命を第一に考え、政府を打倒するという考え方だったのでは?
別宮 "State"の政府であれば、簡単に打倒できます。例えばドイツの小邦は第一次大戦の敗戦とともに潰えましたが、帝政ドイツ政府が潰れたかといえば、マルクスやレーニンのいう抑圧機関として続きワイマール共和国に転化しただけでした。
これがマルクスの弱い所で、"Nation"つまり国民が所属すべき国家、とりわけ選挙で選ばれた議会がある国家の場合、戦敗があったり、国王、大統領、首相が替わっても、政府そのものはなんらかの形で存続します。近代国民国家はプロレタリアート抑圧だけの存在ではなかったのです。
コスモポリタン レーニンのやったロシア共産革命の場合はソビエト政府に変わり、共産党によるプロレタリア独裁になりましたよね。
別宮 その通りです。レーニンは十月革命以前は社会民主党を名乗っていたものを共産党に党名を変更しました。従来も"Communist"という言い方はあったのですが、レーニンの動機はドイツの社会民主党(SPD)と区別することだったと思われます。
コスモポリタン 「社会」や「民主」は別とみなされなかった?
別宮 もちろん社会主義と民主主義を組み合わせたものが社会民主主義です。第一次大戦以前は君主国が大多数であり、議会制民主主義や議会の権能拡大は実際的な要求でした。とりわけロシアのツアー制度では切実であったといえましょう。
ですが、ケレンスキー臨時政府の成立のあと、その政府を暴力で転覆しようとするとき、民主は意味がなくなりました。一方、社会主義とは、政府による各個人の平等の要求であり、私有財産没収などにより私権を制限することです。
共産主義者の定義するブルジョワ社会の枠内の改良です。これにたいして共産主義とはブルジョワ社会そのものを転覆することです。
コスモポリタン でも社会主義者を名乗るからには戦争には反対すべきでしょう。
別宮 それはどうでしょうか?社会主義は自由主義に反対することであって、国権で個人から財産を奪うことです。金持ちから奪えば、貧乏人が助かるという考え方です。ただ、本当の金持ちがフローの所得が多いとは限りませんし、土地に課税しても外国の土地から収入を得ていればそれも捕捉できません。
政府の力で公平を期すことはまず不可能であって、それがマルクスの国家観のはずです。
さらに問題なのは、戦争を止めろと主張することは、ドイツから攻撃された諸国、ベルギーやフランスは自ら敗北を認めよということです。ドイツがベルギーを攻撃して世界戦争が開始されましたから、戦争を止めることができたのは、ドイツ参謀本部だけのはずです。ところが、ドイツ参謀本部は事前計画によって奇襲で短期間の勝利を収めることが戦争のやり方だと信じ込んでいたのです。
ドイツ社会主義者がこの世界戦争開始の公算を分析できていれば、あるいは第一党である議会などで食い止めることができたかもしれません。ですが、社会主義とは真実ではなくデマゴーグに乗った理論です。世界戦争はブルジョワが引き起こしたのではなく、ドイツ参謀本部が引き起こしたのです。これが分析できなければ戦争を止めるなど思いもよりません。