短期戦幻想

プロルス ロシア軍はよく戦い、ロシア工業力も見劣りしてない、となるとやはり官僚制に根本問題があるのでしょうか?

別宮 帝政ロシアの時代は官吏の任用は、極めて恣意的になされていたのは事実であって、ある意味集団無責任体制のようなところがあります。武官が文官に優位にたっていたように説明されることがありますが、それもドイツほどのことはありません。

辺境の統治は軍人に任されることはありましたが、中央官庁は文官が占めていて、この点で西ヨーロッパ諸国と大差はありませんでした。むしろ給与が著しく安く、貴族や金持ちはあまり軍人や官吏になろうとしませんでした。

学校は陸海軍幼年学校が進学校のようになっていましたが、大学卒業生は官吏のうちでも、教師になろうとしたようです。

プロルス この当時、西ヨーロッパと違い、ロシアでは官吏が就職先の大手だったと思いますが、ちょっと見劣りしますよね。1915年には砲弾もなくなり、兵士には二人に1丁しか小銃が行き渡らなかったのですから、誰かしらに責任はいくべきでしょう。大半の歴史家はスコムリノフをあげますが・・・。

別宮 ロシア軍失敗の最大要因は、やはり英独仏共通のもので、短期戦幻想でしょう。

例えば、タンネンベルグ戦におけるロシア軍の捕虜は9万2千人でした。これは2,3日で生じたものです。この数字だけで、日露戦争の全期間の捕虜を上回ります。そのうえ、これとは別に、オーストリアとも戦っていました。

もちろん捕虜の多寡は勝敗と関係がありません。ところが、このような被害を与えた、受けたで戦争は終了すると思われていたのです。ヨーロッパのあらゆる軍事当局は戦争はいくら長引いても、半年たてば終わると思っていました。

ところが、想像できないような損害を受け、与え、戦争は1年たってもまだ終わらなかったのです。捕虜を9万2千出したということは、同時に9万2千丁の小銃を補充兵に与えねばなりません。そのうえ、東部戦線の同盟国セルビアから30万丁の小銃貸与の要請がありました。

つまり開戦1カ月で、小銃の在庫は払底してしまいました。

プロルス 小銃の生産能力は?

別宮 ツルスキー・イチェウスキー・セストロレツキー各小銃工廠で月産5万丁にすぎなかったのです。これの能力を増加させるには新たに工員を募集して訓練し、工作機械を購入せねばなりません。

当時、兵器部品のための工作機械は圧倒的にアメリカ製またはドイツ製でした。帝政ロシアは大半の工作機械はドイツ製でしたから、いわば調達先が断たれてしまいました。

そのうえ、アメリカ製工作機械はまず英仏に向けられ、ロシアへの順番は遅かったのです。アメリカは兵器の完成品は参戦まで輸出しませんでしたから、この点でも、第1次大戦のロシアは不利な境遇に置かれていました。

プロルス それで、ロシアは日本からの完成品輸入に頼ったんですね。

別宮 38式歩兵銃のロシア向け輸出だけで100万丁以上になりますから、それは大幅のものでした。各種の大砲、船舶などもありましたから、空前絶後の日本の武器輸出ということになります。