プロルス
ロシア経済の宿痾が国土の広大さ、統制経済にあり、コスト高・腐敗を招いたというのはわかりますが、本当に砲弾不足が敗戦を招いたのでしょうか?
別宮
だいたい敗北側将軍の回想録は、敗因を砲や弾薬の不足と説明することが多く、この点でロシアの将軍や太平洋戦争における日本の将軍も同じようなものでしょう。
ロシア軍前線部隊へ砲弾が届かなかったことは事実ですが、それが敗因と直結するかは疑問です。
プロルス
以前その話があって、戦争または戦闘の勝敗とは何かということになってしまいました。損害の多寡が勝敗を意味しないことはわかりますが、第一次大戦では、砲力の強弱は損害の多寡に影響しなかったのでしょうか?
別宮
そこは重要なところですが、消耗戦と機動戦では損害の多寡にかなり差があります。消耗戦とは近代戦では塹壕戦ですが、日常、両軍が3〜400メートルの距離で対峙しているわけです。
一方、野砲でも射程距離は10キロはあります。すると歩兵の手が届かない所に砲兵陣地を設営して、敵の第一線壕にハラスメントとして砲撃することが起きます。レマルクの「西部戦線異常なし」の世界です。
すると、砲や砲弾の量が多ければ、敵により多くの損害を与えることは自明です。ところがこのようなことをしても、敵塹壕の突破には役立ちません。なぜならば死亡または負傷した兵士の代わりに補充兵が届けば、敵陣地の強度は影響を受けなかったことになります。
プロルス
第二次大戦の西部戦線におけるドイツ軍・連合軍戦死者合計が60万人以下であるのにたいし、第一次大戦の両軍戦死者が400万人に達するとの説明をうけましたが、東部戦線ではどうだったのでしょうか?
別宮
第一次大戦の東部戦線は消耗戦と機動戦がめまぐるしく入れ替わったといってよいでしょう。総じて、機動戦になり敗北すると大損害は免れず、また捕虜を大量に出すことになります。
ただ、鉄道時代だった第一次大戦で攻勢に出た側が、敵を包囲殲滅することは困難で、防勢にまわった側が内線作戦で包囲を完成させるしかありませんでした。1915年のゴルリッツ突破戦でもロシア軍主力の捕捉には失敗しています。
プロルス
この突破戦でゼークトは大量の砲をゴルリッツ・タウノウに集めましたが、対するロシア軍は奇襲をうけたわけで砲撃戦はできませんでした。
一体、ロシアの砲弾製造能力はどの程度のものだったのでしょうか?
別宮
ドイツの砲弾製造能力は月産400万発です。このうち4分の3は西部戦線に行きました。対するロシアの生産能力は1915年春で月産45万発で、「砲弾問題」がとりあげられてからの秋、月産100万発まで増加しました。
オーストリアは月産50万発程度ですから、ロシアは輸入を含めて150万発利用可能ですから遜色はなかった、と思います。
プロルス
するとロシアの将軍はドイツの砲弾の量を過大評価していた、ということですね。