プロルス ロシアが砲弾不足に陥ったことは、農村社会から脱せられないという後進性にあることはわかりますが、1915年にはどこの国でも砲弾不足は生じていました。ドイツですら、ベルダン攻勢を砲弾が充足するまで遅らせています。でも、ロシアの場合は、極端ですよね。砲弾のない砲兵隊が配属さえた師団すらありました。
別宮 当っていますね。例えば、1915年のマッケンゼン攻勢のさい、ノボゲオルギウスクやコウノ要塞が陥落しました。このとき、ドイツ軍は3千門以上の砲と200万発の砲弾を鹵獲しています。
戦略的にロシア軍が要塞を重視したことは確実です。旅順の記憶が残っていたのか、塹壕や堡塁は簡単に突破されないと思ったんでしょう。ところが、ビッグ・バーサによって堡塁の兵舎が破壊されると、群れを成して降伏してしまいました。
1年こもる積もりだったのが、10日もちませんでしたから大量の砲弾が残ってしまいますよね。ところがロシア大本営は要塞がそんなに砲弾を溜め込んでいることはつゆ知らず、ドイツ軍の発表で知り激怒したそうです。
プロルス ロシア人も員数の誤魔化しをやっていたんですね。
別宮 そうです。野砲では8門中隊がやはり非効率でした。速射砲では1分間に20発うつことはよく置きます。これが日露戦争当時は照準を修正すれば2発がせいぜいでしょう。8門で1分間同一地点を斉射したならば160発ですから無駄ですよね。そのうえ陣地変換は砲兵にとり容易ではありません。
4〜6門中隊が独仏では普通でした。これには、ロシア軍将校の不足という問題がありました。
プロルス 軍隊は給料が安いので、中産階級出身者にも敬遠されていましたね。
別宮 東ヨーロッパで一般的によくみられますが、教員の方が軍人より社会的地位が高いんですね。レーニンは教員を代々出す家柄でしたから一目置かれたんでしょう。教育者は共産主義というか役人による統制に魅力を感じますから、社会全体が社会主義化しやすくなりますね。
プロルス 予備士官制度はなかったんですか?
別宮 大学を出れば徴兵免除な上、地域ごとに兵科ごとの士官学校、下士官学校が沢山ありましたから、予備士官という考えは、除隊予備役編入以外なかったようです。アメリカと対蹠的ですね。
砲兵隊将校はまた予備師団を軽視していました。ロシアの予備師団は、日本の留守師団を戦場におくっている点で同じですが、専門の砲兵師団が軍団直属になてちることが多く、寄せ集めの予備砲兵旅団の半分が臨時に予備師団に配属されることが置きました。すると旧式や教育用の野砲に僅少な砲弾しか装備されません。
現役の砲兵隊将校からみれば、そのように戦闘力のない予備師団を救助して玉砕するより、早逃げして砲兵隊を温存するという考えになります。
プロルス それはちょっと同志愛に欠けますね。
別宮 ロシア砲兵隊もけっきょく社会を反映せざるを得ません。ロシアは自作農中心の農業社会でした。農兵の場合、義務教育をうけていない場合が大部分ですから、マニュアルでなく口頭で指導するしかなく、歩兵でなく砲兵の場合教育は至難です。
とくに間接射撃になると、未訓練の砲兵は、引き金を引くか、弾丸を装填するくらいしか役にたちません。訓練済みの砲兵は貴重だったんですね。
農業社会は長期現役制だとうまく徴兵制が働きますが、短期現役制では厳しくなります。