宰相としてのベートマン=ホルベーク

マーニャ 第一次大戦の戦争責任がベートマン=ホルベークにありというのは、いささか難しいことはわかりますが、ベルギー中立侵犯が直接の戦争開始ですから、ドイツは戦争責任から逃れられないでしょうね。

別宮 ベルギー中立侵犯の原因はシュリーフェンプランの内在する論理からです。元々、露仏の動員速度の差によって、始めフランス軍と対峙し、これを殲滅、返す刀で東に向かい、ロシア軍を打倒しようとしたものです。

するとロシアが総動員を下令し、それを放置するとドイツは唯一の戦争計画であるシュリーフェンプランの根拠を失ってしまいます。ですから、ロシア総動員の一報で、シュリーフェンプランの示すベルギーへの侵攻=仏白国境通過という作戦軸を選びました。

これがどの個人の責任かとなると難しい問題です。帝政ドイツとは外政は帝国、内政は諸公国といわれますが、じっさいにはプロイセンが大きな面積を占めていましたから、プロイセンの理念における統治のはずでした。

ところがビスマルクがつくったドイツは、プロイセンほどにも議会の権限はなかったのです。

マーニャ 全部、超然内閣ですよね。

別宮 でも議会で予算が通過せねば、軍事・外交すら困難です。昭和軍人は何か誤解して政党内閣・中間内閣・官僚内閣と区分けして官僚内閣を理想のように思い込みました。第一次大戦の勝者があたかもドイツと思うのは「判官贔屓」程度の話かもしれませんが、帝政ドイツが政治の模範のように考えるのは大失敗です。

明治憲法はドイツ憲法を模倣したのではなく、「プロイセン」憲法を模範にしたのであって、両者を比較すればプロイセン憲法ははるかに自由主義的なのです。

マーニャ ウィルヘルム二世は本当に「ご学友」という理由で、ベートマンを宰相にしたのでしょうか?

別宮 ドイツ皇帝に宰相の人事権はありました。でも宰相の権限は外交に限定され統帥権には及びません。また統帥権とは訳が"Military Command"であるように、戦時における軍隊を率いる最高権力を意味します。当然、ウィルヘルム二世が最高権力者です。

もっとも当時の理解では、君主はアドバイザーの意見に従うまたは承認を得るのが当然とされていますから、宰相・参謀総長が実権者となります。

大正デモクラシーで吉野作造が「二重権力」と銘打って平時においても参謀総長に何か首相や行政府に対抗する権力があるかのような言説を唱えたのは大いなる誤りです。

これに「悪乗り」した陸海軍人は、もっと問題ですが・・・。

ベートマン=ホルベークがビューロウの後を継いで宰相になったのは1909年ですが、軍人でもユンカーでもない所がむしろ特徴でしょう。出身家庭はフランクフルトの代々官僚を輩出する家柄でした。

ビスマルクの「鋼鉄」宰相とか、ビューロウの「うなぎ」宰相とかにウィルヘルム二世は辟易としていたのではないでしょうか?

ベートマンは気の弱い常識家です。少なくとも人間としての善意をもっていました。ロシアやイギリスと争う意志はありませんでした。セルビア人に対しても憎んでいたとは思えず、テロに怒りを覚えただけでしょう。

マーニャ でも政治家で「気の弱い常識家」というのは危険ですよね。

別宮 鋭いご指摘です。