マーニャ
アルジェリア師団を見落としたのは不覚ですね。でも、ドイツ軍事学の教条「要塞兵は出撃しない」に単純に従ったことはないんですか?
別宮
要塞兵が出撃しないは、要塞が奪われてしまうことを恐れるわけです。ところが、要塞にたてこもられたとき、攻囲する側は守備兵が要塞の中にいることで困っているので、出てくれればそれに越したことはないわけです。
つまり、その要塞の重要性によるわけです。単に、要塞死守でなければ出撃することはあるわけで、ドイツ軍事学が教条主義的にすぎたのでは?
マーニャ
でも、別宮先生は『旅順攻防戦』の中で、コンドラチェンコは出撃を主張したが、それは誤りで、一方、守備側が守備から攻勢へフォーメーションを変えることは簡単でないと仰っています。一体、パリ軍(モーヌーリ)は守備のためにそこにいたんでしょうか。それとも攻勢に出るためにいたんでしょうか?
それとパリの失陥はフランス国民の士気を決定的に落とすんではないでしょうか。というのは1940年5月のドイツ軍大攻勢のあと、パリは失陥、そのままフランス全軍は降伏に追い込まれています。
別宮
パリ軍は攻勢に出るため準備されていたとみてよいでしょう。ジョフルは戦後、ガリエニが攻勢に出ることを提案したため、パリ軍の作戦に関連して批判されることも多いのですが。パリ軍を組成し、そこに集中させたのはジョフルです。
加えて、アルジェリア師団の存在です。ジョフルはパリ軍を攻勢の際の先鋒として意識していたことは確実です。そのうえ、パリ市民に呼びかけ後備師団も増強されつつあり、小銃もシャスポーなどの旧式銃が更新されつつありました。つまり、ドイツ軍が分列行進でパリに入れることはなく、前面の塹壕や強化地点に配置も済ませていました。
マーニャ
ドイツ第一軍(クルック)がターンせず、そのままパリに突っ込んでいったらどうでしょうか。
別宮
ドイツ軍は負けたでしょうね。兵力は同じで、かつセーヌ川の線に並んで、BEFがいます。
マーニャ
そうか、BEFがいますね。でも本当に戦ったでしょうか?
別宮
フレンチはキッチナーの兵力温存命令に従っていたのは事実です。キッチナーは、フランス軍が山鶉のように逃げ散って終わりと予想していました。フランス軍がパリを枕に抵抗すれば、キッチナーも考えを変えるでしょう。現に、マルヌ攻勢の段階では変えました。
マーニャ
パリ軍が攻勢のための総予備、BEFは更にその予備ということですね。