共産主義への過渡的段階

コスモポリタン
それでも、マルクスの国民主義的な部分はスターリンにひきつがれ、ある意味で共産党的前衛運動からは消え去っているものではないでしょうか?

別宮
マルクスの国民主義的における基礎は、ドイツ国民の創出なり、ドイツ国民の優秀性、ドイツ労働運動の先進性に求められます。これがまず正しいかという点が疑問なのです。

コスモポリタン
マルクスは、普仏戦争の評論において、ドイツの統一について賛成であることを主張し、後段のパリ・コミューンについては肯定的にとらえています。パリ・コミューンを共産主義への過渡的段階としてとらえるには幼稚とみていますが、政治形態または労働運動としては過渡的なものとして認めています。

別宮
マルクスにとってはドイツ以外の出来事、ドイツ社会民主党の統制に従わない出来事は、ある留保をつけねばいられないのでしょうね。

マルクスは共産主義への過渡的段階について次のように述べています。(マルクス『ゴータ綱領批判』)

「資本主義社会と共産主義の中間には、一方から他方にいたる革命的変革の時期がある。これに応じて、政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外の何者でもない」

さらに、これをうけてスターリンは次のように述べています。(スターリン『レーニン主義の諸問題について)

「プロレタリア独裁とは、その本質上、プロレタリアートの前衛・即ちその基本的指導力としての政党の独裁であるとも、言いえるだろう」

このように二人とも、この時期の「国家」は、民主主義を否定し、独裁的であるべきだと主張しました。これは産業革命が「自由」「平等」がなければ成立しないことを念頭におけば、意図して言論を弾圧し新しい共産党員を上位とする身分制度を樹立することを意味しています。

すなわち、ヒトラーの国家主義に近似しています。

コスモポリタン
でも、スターリンの情念というか思い込みがあのようなソ連の悲劇を招いたのではないでしょうか。

別宮
スターリンに最も反対したトロツキーの語るところです。(トロツキー『テロリズムと共産主義』)

「土地と工場と銀行、新聞と大学と諸学校――これがメジャーなものである。更に軍隊の統帥権が我々の手中にある限り、民主主義の道具――議会は諸君がいかに改造したところで、依然として我々の意志に従う。

我々は痴鈍で保守的で無意志な小市民――中産階級を、彼らが物質的に我々に従属しているように、精神的にも我々に従属させよう。我々は必要とあれば、彼らに不平のはけ口を与えるため、反対党をつくるのも許す。だが、それは共産主義を害するものではない。

また我々は、大衆を義務教育の中にはめ込んで、無知の状態に押し込める。また、我々の専門家に研究させて、彼らを精神的奴隷状態に留めておき、危険な範囲に出られないようにしよう。

また我々は、プロレタリアート自身中の特権的な層と時代遅れの層とを堕落させ、欺瞞し、畏怖させよう。

要するに、抑圧と脅迫の道具を我々に残っている限り、我々は、労働者階級の前衛をして、断じて民衆の多数の意識によって支配されることがないようにする」。

我々――が共産党(主義者)を意味するのは明らかです。