ミャソイェドフ事件

プロルス
ロシアで砲弾を自国内で生産するか、輸入するかで論争があり、スコムリノフが輸入派であったことはわかるのですが、その失脚は何か突然であった気がします。

別宮
スコムリノフの失脚はミャソイェドフ事件と呼ばれます。この事件の当事者はポリバノフで従前はスコムリノフ派であった人物です。

そして背景には戦局の悪化があります。1914年が終了すると、ロシアはドイツに敗れ、オーストリアに勝利した格好になりましたが、戦争が長期化しつつあることは誰の目にもわかりました。

砲弾問題とスコムリノフ批判が巻き上がりましたが、これはニコライ大公が積極的に認めているところがありました。ポリバノフはそういった全般的な雰囲気を嗅ぎ取り、ニコライ大公派に鞍替えしました。

プロルス
節操のない人物ですね。

別宮
政治的軍人ですから、時流にはどうしても敏感になります。戦時に入ると軍人の人事権は陸軍省から大本営(スタウカ)に移ります。

ポリバノフは開戦時にはニコライ大公にワルシャワ総督への任命を断られ、オルデンブルグ公爵が赤十字総裁でしたが、その副総裁格に飛ばされました。ところが、オルデンブルグ公爵にとりいって、ニコライ大公にも認められスコムリノフの後任と目されるようになりました。

ポリバノフはワルシャワ司法を動かせる立場にありました。

1915年2月、ミャソイェドフはワルシャワ司法当局によって逮捕されました。嫌疑はでっち上げと思われます。初め、あるロシア人が「ドイツを去るとき、ドイツのためのスパイとなることを約束、その後、良心の呵責に耐えかねて、北西方面軍に高級スパイがいる」、と自白しました。

その後、検事側とのバタバタした交渉のすえ、「そのスパイはミャソイェドフだ」と付け加えました。

ミャソイェドフは開戦前、スコムリノフの部下であり将校団の監視にあたっていました。内容は腐敗防止ですが、自身も腐敗していたことは疑いありません。この時、モスクワで軍需工場を営むグチコフに決闘を申し込まれたことがあります。ただ、弟はボルシェビキ革命後数年たち、フルンゼ陸軍大学の教導をやっていますから、政治的背景は謎ですね。

戦争が始まると、スコムリノフは一旦ミャソイェドフを解任するのですが、数ヵ月後、北西方面軍(ルツスキー)の憲兵隊長になりドイツ国境方面を担当しました。ルツスキーがスコムリノフ派だったことと関係があるのでしょう。

そして3月に入ると、新聞に大々的にスパイ事件として報じられるとともに、ミャソイェドフは逮捕されました。ミャソイェドフはワルシャワで軍法会議に付され、有罪を宣告され、そのまま処刑されました。

こうなると従来対立していたモスクワの工場主、ペテルブルグの新聞も黙っておらず、スコムリノフの非を鳴らしました。ニコライ二世は当初かばっていたのですが、戦局の悪化も加わり、6月、スコムリノフを解任、ポリバノフを後任に据えるとともに、身柄を「調査のための特別委員会」の下に拘束しました。

これによりスコムリノフの失脚は確定しました。