ホルシュタイン

マーニャ
ホルシュタインとはどのような人物なのですか?

別宮
名前の通りでホルシュタイン出身の小貴族で、プロイセン=ユンカーと似た気質をもっていました。外務省たたき上げであって、他に目覚しい経歴はありません。また、大国への外交使節の経験もないのです。ただ、これが外務省における実力がなかったということではありません。

というのは、ヨーロッパ諸国において、君主国の外交使節は貴族出身でなければならない、という暗黙の了解がありました。これがため、ドイツ小邦の王族・貴族がドイツ帝国の大使や公使になったわけです。そして首都の社交界を形成しました。

この残滓は現在でもあり、ドイツのビジネスマンはよく、コートジボアール名誉領事などの肩書きを喜びます。

そして、これら貴族大使は語学・会話・社交に長ける訳ですが、外交方針の立案能力はありません。そして、英仏などにおいては政党政治家が外相となりました。ところがイギリス外相は貴族であり、外相であり、政党政治家でもあります。ホールデンやグレイですが、いずれも一時代を劃した実力外交官です。

ですが、ドイツ、オーストリア、イタリアでは、このような選挙にも強い政党政治家は、貴族の中から現れません。これがため、外務省という官僚組織が外交方針を立案することになります。

オーストリアやイタリアはそれでも官僚組織の中枢もまた大貴族が掌握していました。つまり、外交について首相や他の行政府から独立していたのです。これは外交使節が本国に戻り、外相や次官になったことを意味します。

ところが、ドイツでは外交使節は大貴族、外務省官僚はユンカーを中心とする小貴族です。表面に出るのは大貴族、実際に操るのはユンカーという関係です。これはドイツ陸軍の傾向と同じです。ドイツ官僚制度は特異でした。

マーニャ
でも、ホルシュタインは同時代の人間にも評判が悪いようですね。

別宮
ビューロウ宰相夫人を脅迫したり、ウィルヘルム二世の友人であるオイレンベルグ公のスキャンダルをもとに破滅に追い込んだといわれています。

ただ噂であって真相は今もってわかりません。ただ、ホルシュタインは皇帝や宰相と対立していたと思います。が、命令に反してまで自分の政策を追求したようにみえないのです。

マーニャ
わかりにくいですね。

別宮
強いて言うと、戦前の日本の首相の力が弱い時を想定すればよいと思います。ポスト・ビスマルク時代というのは決定者がいない政権でした。

多くの人はビスマルクが退陣した1890年、ウィルヘルム二世が、親政を開始したと理解しましたが、これは誤りです。ドイツ帝国というのは、皇帝独裁ができない仕組みになっていました。これは軍事を除いてという意味です。つまり、ドイツを貫く内政は存在しませんでした。ところがウィルヘルム二世はまたプロイセンの王でもあったわけです。

これの違いは明確で、プロイセン政治は子飼いのユンカーとともに遂行できますが、ユンカーの望む政治はドイツ全体の望むべき政治とは常に異なります。

そして外交です。

外交は軍事と内政の狭間にあります。こうなると、外交政策は誰の手にもなく、外務省という組織の手にわたります。つまりウィルヘルム二世、貴族である外交使節が執行者ですが、政策決定は外務省の官僚に握られ、その代表がホルシュタインであったわけです。

ホルシュタインはウィルヘルム二世らの主張する「世界政策」に内心反対であったようです