コスモポリタン
SPDの歴史が共産主義の主流の流れであるか疑問なのですが、当時のドイツ政界に相当の影響をもっていたのは疑いありません。すなわち、SPDはヨーロッパ各国のなかで、最も国民に支持された社会主義政党であり、現にワイマール共和国初代大統領エーベルトはSPD主流派です。
その意味でSPD主流派が変質せず、そのまま革命政党として維持できれば、マルクスのいうヨーロッパ革命=世界革命が実現した可能性はあるのではないでしょうか。とりわけローザ・ルクセンブルグのような党内民主主義を重視する人々が主流を占めれば、スターリン以降暴虐化していった、ソ連共産党問題も自ずと防げた可能性があります。
別宮
SPDについていえば、いわゆる変質について、その綱領を分析するのが一般的です。具体的には1891年のエルフルト綱領と1925年のハイデルベルグ綱領の比較です。
エルフルト綱領は明らかにマルクスの立場に立脚しています。現状分析としては、小企業の転落と中間層の没落は必至であるとしています。これは、単なる誤りにすぎないマルクス経済学からきているものでしょう。
すなわちマルクス経済理論は資本主義は絶対窮乏化し、恐慌などを経て、プロレタリア革命に必然的に導かれるというものです。実際には、大企業の独占化は進まず小企業が発展していきました。これは、単純なことで、自由な社会では、小企業は大企業に吸収されたり、倒産することが多いのですが、普通そういった形で消滅する企業よりも、新たに創業される企業も多いためです。
また、ある程度独占に成功した企業も、その分野そのもが、斜陽産業となり、重要でなくなってしまうことがあるからです。そういった世間の変化にマルクス主義者はついていけなかったということでしょう。
具体的にはパパ・ママショップ→百貨店→スーパーマーケット→カテゴリーキラーのような流れです。
このため、エルフルト綱領では、「大企業の強化はあるが、小企業はその社会的意義を減少させつつも、存在を続け」として、小企業主や官吏などの中間層を支持基盤として獲得することを目指したわけです。
コスモポリタン
しかし、支持を集めることはよいのですが、労働者階級の指導性を失わせては、まずいといえます。
別宮
エルフルト綱領では中間層について「経済における大企業の進出とあいまって、各種の使用人ならびに知識人の数や意義が増大した。この数の増大とともに、かれらは特権的地位に昇進する機会を失い、同時にかれらの利害関係は、ますます他の勤労者のそれに合致しつつある」としています。
すなわち、数が増えていることを認めたうえで、管理職になれなくなるだろう、そうすれば、労働者と同じだというのです。この程度の了見であり、専門職の増加など現代社会のダイナミズムにはついて行けないということでしょう。
コスモポリタン
しかしSPDは、最後まで階級政党の立場を維持したわけですね。
別宮
それは、その通りです。ハイデルベルグ綱領は次のように定めています。
「労働者階級は、自分自身の解放のために戦いつつ、資本主義的独占にたいして、社会の全利益を代表している」
これは、階級政党の立場を明確化しているととれるでしょう。ただ、1921年につくられた暫定綱領、ゲーリッツ綱領では
「SPDは、都市および農村における労働する人民の政党である」
としており、ハイデルベルグ綱領はむしろ階級政党の性格を強めたといってよいでしょう。