ベラ ウィーンの教員養成所とはどんなところですか?
別宮 オーストリアの義務教育は当時から変わっていて、小学校を出ると9年生の職業訓練学校(ギムナジウム)にいくのが普通です。大学に進学する組は工科高校やラテン語高校にいきます。
その上、けっこう進学競争が厳しく、ギムナジウムは靴職人とか具体的職業訓練を兼ねますが、小学校教員の道に進みたければ、途中から教員養成所というギムナジウムにいくことも可能です。
ベラ ギムナジウムというとボクサー養成所のようにきこえますね。一体何歳くらいで卒業できるのでしょうか?
別宮 英語じゃ確かに、スポーツ・クラブを意味しますね。勘弁してやってください。何歳卒業も難しい話ですが、最上級の"Oberprima"は18歳から20歳というところでしょう。
ベラ 大学を出ても、小学校教師になるためには、ギムナジウムに一から通う必要があるのですか?
別宮 "Oberprima"に在学して、資格試験に合格する必要があります。
ベラ 30歳のウィトゲンシュタインには試練ですね。
別宮 流石にウィトゲンシュタインも嫌になったとみえて、エンゲルマンに「ギムナジウムの子供のように振舞うことができず、そしてその屈辱は滑稽ですが、あまりにも大きく、しなしばそれに耐えられないと思ってしまうのです」と書いています。
ベラ ウィーン一の金持ちの30歳の男がねぇ、と思う人はいなかったのですか?
別宮 ギムナジウムの教師が「名前が同じだが、ウィトゲンシュタイン家と関係があるのか」ときいてきたそうです。
それにたいして「そうだ。でもそれほどでもない」と答えたそうです。
ベラ でも、全財産を寄贈して無一文だったのですね。
別宮 じっさいには姉のヘルミーネの影ながらの援助はあったと思います。ただ、1919年秋には自殺未遂事件を引き起こしていますから、もっとも落ちこんだ時期だったでしょう。
その11月に昔のウィトゲンシュタイン製鉄グループの一つの経営者でるシェグレン家に移りようやく安定した住居を得たようです。またこのとき『論理学論考』の出版をはかっていましたが、ウィーンの出版社は戦争直後で、いずれも経営が苦しく、また内容があまりにも難しく出版を拒否しました。
出版社が内容についてインスブルック大学の哲学科教授に問い合わせるときいたところ、ウィトゲンシュタインは「哲学教授などにわかるはずがない」と答えたそうです。
当時人気作家であるラッセルが序文を書くということでも、出版計画はうまくいきませんでした。