ドイツの超然内閣

マーニャ ウィルヘルム二世はデイリーテレグラフ事件で政治的実権を失いベートマン=ホルベークは宰相としての強引さがない調整型の人物でした。そうするとドイツ帝国の運営は極めて難しくなりますね。

この場合、ウィルヘルム二世の個性は影響するものでしょうか?

別宮 1888年にウィルヘルム二世が皇帝に即位し、ビスマルクは1890年にウィルヘルム二世と意見があわず宰相を自任しています。ただ、この対立の原因はウィルヘルム二世の「新航路外交」のためだといわれますが、じっさいには内政が原因であったと思います。 

マーニャ この時代は全部超然内閣ですよね。宰相を任命するのは皇帝ですから、信任を失えば失脚です。日本の大正・昭和時代のような元老システムはありませんよね。

別宮 その通りで、辞職はともかく、新任についてはウィルヘルム二世の任命権を行使しました。

マーニャ そうなると辞職の理由は議会による不信任ですか?

別宮 そうです。結局議会の支持を失えば予算が通りませんし、連邦を通じての立法も不可能となり政権は維持できなくなります。

マーニャ それでも議員は選挙で選ばれますから皇帝の任命ではない。そうするとウィルヘルム二世は議会の信任を得る人物を宰相に任命するしかないことになります。

別宮 宰相は皇帝と議会の両方に責任を負わねばならず、ところが議会勢力は転々としますから、皇帝が政局を避けようとすれば、イギリスのように議会第一党の党首とすることを慣例化すればいいんですね。

ところがドイツ帝国はプロイセンからの残滓、軍部と外務省の官僚層がありました。参謀総長、プロイセン陸相、外相は官僚組織の互選のようなことになりました。この点は昭和期の日本の政治に酷似しています。

こうなると議会第一党が宰相を出すというルールが形骸化します。

マーニャ ウィルヘルム二世が即位したとき、その辺りをどう思っていたんでしょうか?

別宮 ウィルヘルム二世は内政では全ドイツ人の支持する皇帝になりたく、外政では全ヨーロッパに愛されるドイツを目論だんですね。これは夢物語です。

一方、ビスマルクの支持政党はユンカーの農民党、少数の工業資本家の党派だけでした。彼らは「商売」目的の政党です。反対党派はカトリック中央党、国家自由党、社会民主党です。ビスマルクはこのうち社会民主党を非合法化しようとしました。

ウィルヘルム二世は全ドイツ人の支持を得たいですから、ビスマルクの政党操縦術を愚かしいものと映ったんですね。

マーニャ ウィルヘルム二世は永遠の理想の宰相を追い求めたんですね。

別宮 超然内閣というのは不可能なことをやろうとする手品のようなもので、失敗は不可避でしょう。結局、ドイツは事実上、1933年のヒトラーを待つまで、常時政局という状態から出られなかったんですね。