参謀本部への信仰

マーニャ アガディール事件、ボスニア危機、タンジール事件がドイツ外務省の役人によって引き起こされたことはわかりますが、なぜサラェボ事件は第一次大戦に発展したんでしょうか?

別宮 サラェボ事件は直接には、オーストリア=ハンガリーの皇太子がセルビアのテロリストによって殺害された事件です。オーストリア=ハンガリーはセルビアにたいして局地戦を仕掛けました。

これにたいしてロシアが反応し、総動員をかけたんですね。このときドイツが総動員をかける所までは避けられなかったでしょう。というのはドイツが放置して、ロシア軍が東部国境を越えたとすれば、ドイツは軍事的に対抗することはできません。

問題はドイツの戦争計画(動員+集中+開進+作戦)が、シュリーフェンプランであったことでしょう。すなわち、ドイツの総動員は戦争を意味していました。

マーニャ でも、シュリーフェンプランとはまずフランスに攻め込むことですよね。そのうえ、ベルギーの中立を侵犯しますから、イギリスをも敵に回します。少なくとも、その可能性を増します。

別宮 イギリスの件は小モルトケは、解任されたあと「予期していたが、大きな障害にならないと考えていた」と言ってますが、「アト講釈」の面が少しあります。やはり誤算だったでしょう。

長期戦を考えれば、決定的な失敗です。とくに日英同盟で日本の参戦をも招きましたから、世界の制海権を一瞬にして失いました。そのあとファルケンハインがドイツは四周を包囲された要塞になった、という表現は正しいでしょう。

ドイツ参謀本部は、本来、シュリーフェンプランの中味を知っていましたから、イギリスへの挑戦行為である海軍軍拡を止めさせるという手はとれたはずです。

フランスを先に処理してあとでロシアに当るというのは、シュリーフェンプランの骨子ですが、これもロシアとの外交紛争が戦争の原因となった場合、突拍子もない印象ですよね。

マーニャ 露仏同盟と英仏協商が成立した段階で、ドイツ外交は警戒せねばなりませんでした。

別宮 ドイツ人からみれば外交は貴族的な官僚がやるものでした。国民は外交官を信用しておらず、信仰とまで信頼していたのは参謀本部でした。

マーニャ ドイツ人はよくオーストリア=ハンガリーに白紙委任状を与えたことが失敗だったといいますよね。

別宮 ですが、自国の外交官ですら怪しい連中と思っている国民が、オーストリアの外交官の同情するはずがありません。結局、オーストリアと戦時同盟は継続されるという前提で、国民は独露関係を重視したんですね。

マーニャ 最後にベートマンはロシアの総動員を聞いても、戦争を避ける、すなわち総動員に逡巡しましたよね。

別宮 その通りです。でも独露関係破綻による戦争はドイツ誰しもが反対できなかったでしょう。それとベートマンと参謀本部を選べといわれば、国民は参謀本部をとったでしょう。

マーニャ フランスに攻勢に出てもほとんどの国民は違和感を感じなかったようです。

別宮 その通りです。それほど国民の参謀本部にたいする信頼は厚かったんですね。この辺りは太平洋戦争直前の帝国海軍にたいする日本国民の感情とよく似てますね。