ベラ ウィトゲンシュタインの自殺願望はこの時代の多くの復員兵に共通したものだったのでしょうか?
別宮 戦場は異常な場所です。そして兵士や下級将校には、戦局がほとんどわかりませんし、和平工作など戦時外交についても知らされません。ですから過度な運命論者になることは多いですが、九死に一生を得ていますから、自殺願望は例外だと思います。
ベラ ウィトゲンシュタインは例外だったんですね。ただ、哲学者で優秀な兵士というのが例外ですから。
別宮 金を寄付しまくったのはもっと例外でしょう。自然の中で単純労働による一生というトルストイ的生活を理想としましたが、トルストイも含めて「小さな金」は残すものですが、ウィトゲンシュタインは本当に無一文になりました。
教員養成所にいた間は、生活費もかかりませんでしたが、1920年7月7日、そこを卒業しました。そして、教えることに生きがいを見出そうとしました。このころエンゲルマンに「最善のことは子供たちに童話を読んであげることだ」と書いています。
ベラ オーストリアは、9月から新学期ですね。オーストリア文部省はウィトゲンシュタインに注目してたのですか?
別宮 まあ大物ですからね。 このころオーストリアでは社会民主党政権が成立していました。文相はオットー・グレッケルという社会民主党員で、「共和国教育」「教育の宗教からの独立」を基本とする教育改革を唱えていました。
ベラ ウィトゲンシュタインは改宗したキリスト教信者ですよね。
別宮 戦友にフリードリッヒ・ヘンゼルがいて、グレッケルに反対し、「新祖国同盟」"Der Neueland
Bund"を結成し、宗教教育を柱とすることを主張していました。当然、聖職者にある種の特権を認めるものです。
ベラ ウィトゲンシュタインはどちらでもない立場だったんですか?
別宮 あまり興味を示さなかったようです。おそらくキリスト教は支持していたと思いますが、聖職者を軽蔑していましたから。
ただヘンゼルはウィトゲンシュタインについて「心理学の教授は、高貴なウィトゲンシュタイン伯を大変気にいっている」と書いています。また旧来の哲学論争「物質主義か観念主義か」について熱心であったともしています。
ベラ ウィトゲンシュタインはどちらを支持したんですか?
別宮 支持というか、「主義」について定義することが彼のやり方ですが、明らかに観念主義を重視していました。『論考』5・6〜5・641に
「世界は私の世界である」
「それにもかかわらず、私は私の世界にいない」
「主体は世界には属さない。むしろ私は世界の限界である」とあります。
ベラ 新学期まではどうしたんですか?
別宮 ウィーン郊外のクロスターノイブルグの修道院の庭師として働きました。このときエンゲルマンに、
「私の生が大変悲惨なことになるとすれば、それはきっと悪魔のせいに違いないのです」と書いています。