プロルス ロシア国産兵器の問題点はわかりました。でも、ロシアは戦争がこれほどの規模になるとは予想していませんでした。これは英仏にしても同じですが、ロシアの兵員規模は巨大であり、しかも独墺土といわば3正面作戦を実施していました。ここのところが、第二次大戦と違うところです。
さらに第二次大戦では、ペルシャ・ルートが大きく開いていましたが、第一次大戦では、トルコの妨害とペルシャ内鉄道未整備のため、閉ざされていました。帝政ロシアはどういった方法で、この隘路を打開しようとしていたのでしょうか?
別宮 北海ルートにしても、ムルマンスク鉄道は未開通でした。独墺人捕虜を動員して吶喊工事をやりましたが、枕木1本・骨1本といわれるほど過酷だったようですね。
ですが、1917年になっても完成せず、ムルマンスクとアルハンゲリスクには連合国援助物資が膨大な滞貨となっていました。ロシア10月革命のあとイギリスが干渉に乗り出したとき、一番最初にやったのが滞貨回収でした。
あとはシベリア鉄道ですが、これは自ずと限界があります。これは主として距離のためです。例えば、旅順攻防戦で使われた28サンチ砲について開戦直後要請があり、1914年12月大湊で船積みし、ウラジオに運び込みました。グロドノ要塞に置かれる予定で、据付要員も派遣されましたが、ゴルリッツ突破戦でドイツ軍の攻勢が成功すると、転々とする有様となりました。重砲となると普通の車両では間に合いませんから、難しいですね。
プロルス 日露戦争でも1個師団派遣するのに半月以上かかっていますね。
別宮 その通りです。「ロシア軍は将軍が命令を出し鉄道が決定する」というのは真実でしょう。当然戻すのも大変であって、日露戦争によってヨーロッパ正面ががら空きになりフランスがドイツの脅威に曝され、英仏協商にいたったのは自然のコースでしょう。
プロルス 北海ルートはアルハンゲリスクは鉄道はあるが氷結する、ムルマンスクは鉄道がない、そしてUボートの脅威がある、では元来ロシアの戦争準備がなかったともいえます。
別宮 東支鉄道、南満州鉄道、旅順・大連への投資をやめれば、ムルマンスク港湾施設や鉄道建設は容易であり、かつ日本との戦争は避けられたでしょうから、帝政ロシアは大回りをしたということでしょう。
ただ、当時のニコライ二世はフランスからのアドバイスをとらず、ウィルヘルム二世からの「太平洋の提督になれ」に熱心でしたから仕方ないですね。
ムルマンスクからフィンランド内鉄道最北端のウレアボルグまで、トナカイ輸送が実施されました。これはラップ人を使役しました。初めラップ人は「先祖の掟」をたてに抵抗しましたが、ロシチャルコウスキー提督が「それなら絞首刑だ」と脅し無理やりやらせたものです。
ラップ人のトナカイは1916初頭には1日100トンを運んだそうです。これについて、「航空機部品の輸送には有効だった」とフランス人は喜んで書いていますが、どうでしょうかね?
プロルス トナカイに頼っては末期的症状ですね。それに絞首刑ですか。
別宮 氷結した陸路、砂漠を通り抜けるのは、海路よりはるかに難しいですね。ロシアにも基礎的物資に不足するものはあります。例えば、銅をまったく産しません。それに熱帯産のゴムや胡椒はダーダネルス海峡が閉鎖されると入れるのが難しいですね。シベリア鉄道経由が貴重であったのは事実でしょう。